2021年3月に日本語の翻訳版が発行された、『起業家精神のルーツCHUTZPAH』という本をご存知でしょうか? 「CHUTZPAH」は「フツパ」と読み、大胆さとか、諦めない粘り強さのような意味を表すヘブライ語です。混沌状態を表すヘブライ語、バラガン(BALAGAN)とともに、起業家を多く輩出するイスラエル人の気質を表す言葉として知られています。この言葉をそのままタイトルにした本を書いたのが、インバル・アリエリ(Inbal Arieli)氏で、コンサルティング会社Synthesisを創業し、リーダーシップや起業家精神について世界中で多くの講演、コンサルティングを行っている起業家です。
イスラエルに関連する発信を続けている立場としては外せない本であり、私も3月末に入手して一気に読み、多くのエピソードから語られる内容にとても刺激を受けました。実は私が最も興味を持ったのが、この本の本筋とは少し外れますが彼女が8200部隊の出身であるという点でした。言うまでもなく、8200部隊は諜報・インテリジェンスの任務を司る組織で、選ばれた優秀な若者しか入隊できないエリート部隊です。同様のエリート部隊である「タルピオット」について調べ、本(「世界のエリートはなぜ「イスラエル」に注目するのか」)を書いた身としては、とても興味ある人物でしたので、今回の取材をとても楽しみにしていました。取材ではCHUTZPAHの内容についても伺いましたが、結局はアリエリさんご本人の経験や考え方を伺うことになりました。以下、1時間の取材でお話頂いたことを前編、後編に分けてお届けします。
8200部隊の経験について
―――アリエリさんは8200部隊ご出身ですが、高校生の頃”兵役では8200部隊で活躍したい”というような思いはあったのでしょうか?
いえ、全くありませんでした。自分が兵役についた頃(1990年代)はまだ8200部隊も現在のようなブランドとしては知られてはいませんでしたし、人々が語ることもありませんでした。私自身も8200部隊が何をするところかも知りませんでした。兵役に関しては、何か自分の能力を活かすことの出来る、意味のある仕事で貢献できれば良いなと考えていましたね。ヨーロッパで暮らした経験もあり、英語とフランス語は得意でしたので。私はIDFでのキャリアを考えていたわけではないので、具体的にこんな仕事をしたいというよりも、IDFの才能豊かな人々と一緒に仕事がしたいと思っていたのです。そしてその思いは叶いました。8200部隊には大きく分けて2つの領域があります。一つはサイバー関係のプログラムコーディングをするような技術の領域、もう一つはインテリジェンスです。私は後者に所属していました。
―――8200部隊に入れるような学生は、みんな数学や物理を勉強しているのでしょうか?アリエリさんも数学や物理が好きな教科だったのでしょうか?
私も数学や物理を学びましたし、好きな科目でした。但し、これは候補者の能力、IQを示す一つの指標でしかありません。実際文学を専攻した生徒が選ばれたケースも知っています。もちろん、あらゆる業務に技術が関係していますが、誰もがコーディングをするというわけではありません。今はチャレンジに適した人材が求められています。それにはむしろソフトスキル、個性が重要なのです。
―――タルピオットの経験者に聞いたところ、その選考過程で何度もインタビューや難しいテストを受けた、ということでした。アリエリさんも、何度もインタビューを受けましたか?
はい、各ユニットが独自のスクリーニングプロセスを持っており、それは求めるポジション毎にも異なります。IDFにとっては、優れた人材を探すことはプライオリティなのです。例えば、私には3人の息子がいます、19歳、16歳、12歳ですが、真ん中の16歳の息子は既に最初のインタビューを受けました。エリートユニットは優れた人材を探すために、早くから動き始めます。もちろん、候補者の能力、IQを評価するためのテストもありますが、それ以外の要素(彼女は”Soft Element”と表現された)、各自の個性や資質も重要なのです。例えば新しいことをどれだけ迅速に学ぶことができるか、という能力はとても重要視されます。軍ではあらゆることが常に変化しており、常に新しいことを素早く学ぶことが必要なのです。同様に、8200部隊は、常に他のユニットと共に働くので、チームワークも重要です。これも大切なソフトスキルです。
―――本のまえがきでは、アリエリさんは8200部隊でアクセラレーター、インキュベーターと言う役割を担っていた、と書かれています。これはどのような仕事なのですか?
これは、8200同窓会で2010年に始めた仕事なのですが、若い起業家に、私や同僚の持つ経験やノウハウを提供しようというプロジェクトです。8200部隊での私自身の仕事内容はやはり守秘に関わってお話しできませんが、8200部隊はざっくり言えばアメリカのNSA(National Security Agency)のようなものと考えて下さい。様々な脅威に関する情報を集め、解析して意思決定者に提供します。一つだけNSAと異なる点があるとすれば、経験を積んだプロではなく、18歳、19歳、20歳の若者がその役割を担っているということでしょうか。だからこそ、迅速に学ぶ力が重要なのです。例えば4歳の子どもたちは何でも質問して学びますが、それと同じです。私達は質問することを恐れません。
―――8200部隊での経験のなかで、アリエリさんご自身のアントレプレナーシップを育てることに役に立ったことがあれば、教えていただけますか?
たくさんありすぎるのですが、兵役に就いて1年後に、私は士官学校の生徒に選ばれ、戻ってきたときには同じユニットのチームリーダーになりました。その時私は19歳半で、私より若いメンバーもいましたが、年上のメンバーもいました。私にとって最初のマネジメント経験です。ストレスの大きな環境で優秀な人達をマネジメントする、というのは私にとって大きな挑戦でもあり、とても刺激になりました。たくさんの知識・経験があるわけではないので、常に、どうすべきかという道筋を自分で見つけなければならなかったのです。
起業家精神のルーツCHUTZPAH(フツパ)について
―――この本を書こうと思ったきっかけについて教えていただけますでしょうか?
私自身、起業家として既に20年間イスラエルのスタートアップエコシステムの中にいて、起業家マインドを育ててきました。常に多くの人から多くの質問を受けてきたのですが、ある日アメリカで講演したとき、”なぜイスラエルはテクノロジーや起業でこんなに成功しているのか?”、”軍が触媒の役割を果たしているのか?”、等々似たような質問を何度も受け、講演の後も、多くの人が、もっと詳しく知りたい、どの本を読めば良いか、などと聞いてきました。しかし、全ては私の頭の中にあるだけなのです。そして、多くの人が興味をもち、同じように質問してくるということは、私はThesis(卒論)のようにまとめなければならないのだ、と気がつきました。それが、この本を書こうと思ったきっかけです。
本では、軍について書いたわけではなく、未来に向けてのソフトスキルについて、イスラエル社会がどのようにそれを育て、強化してきたか、軍という組織の無い他の国・文化では何を学べるのか、未来に向けた正しい環境(right setting)をどのように設定していけばよいのかなどを書きました。
―――本には、多くの起業家の事例、エピソードがでてきます。これだけ沢山の情報をどのように集めたのですか?
多くの成功者にインタビューをし、彼らのストーリーをシェアしてもらいました。彼らと私とは、いわば同じエコシステムの仲間であり、信頼を得て、その輪が自然と拡がってゆきました。エコシステムの中にいると、次々にテック起業家の興味深い話が集まってきたのです。
彼女はエコシステムを構成する多彩な起業家を集めたユニークなサイト「The Founders Studio」の情報も共有してくれました。彼女自身がそのエコシステムの一部であるがゆえに、自然と成功者の逸話が集まってくる、と言う事実は、言われてみれば納得できることなのですが、同時にそれは誰もが容易に出来ることではないことにも気付かされます。色々な意味でコミュニティが希薄になってきている日本人としては、正にイスラエルの強みの一つが見えたように思いました。
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