月、そしてその先の火星へ。人類が長期間の宇宙探査を目指すなか、大きな課題となるのが宇宙放射線です。そのリスクから宇宙飛行士を守るため、イスラエル企業StemRadが開発した放射線防護ベスト「AstroRad」が注目されています。

NASAの月周回ミッションでイスラエル技術を検証
AstroRadは、NASAの無人月周回ミッション「アルテミス1」に搭載され、2022年11月から12月にかけて約25.5日間の宇宙飛行を経験しました。
実験では、「ゾハル」と「ヘルガ」と名付けられた2体の女性型人体模型(ファントム)を宇宙船オリオンに搭載。ゾハルにはAstroRadを着用させ、ヘルガは防護ベストを着けない状態で月を周回し、それぞれが受ける放射線量を比較しました。
人体模型は骨や軟組織、内臓などを再現した素材で作られ、内部と表面には1万2,000個以上の受動型検出器と34個の能動型検出器を配置。骨髄や肺、胃、子宮など、さまざまな部位への放射線の影響が測定されました。
太陽嵐による放射線を40〜60%低減する可能性
今回発表された研究によると、AstroRadは太陽から大量の高エネルギー粒子が飛来する「太陽粒子イベント」が発生した際、宇宙飛行士が受ける実効線量を約40〜60%低減できる可能性が示されました。
ただし、アルテミス1の飛行中には大規模な太陽嵐は発生していません。そのため40〜60%という数値は、宇宙空間で直接太陽嵐に遭遇して測定されたものではありません。
研究チームは、オリオンが地球周辺の「ヴァン・アレン帯」を通過した際に得られた実測データを使って放射線モデルの精度を検証。そのうえで、1972年8月と1989年10月に実際に発生した太陽粒子イベントを想定したシミュレーションを行いました。
その結果、1972年と同様のケースでは約60%、より高エネルギーの粒子が多かった1989年と同様のケースでは約40%、実効線量を低減できると推定されました。

全身ではなく「守るべき場所」を重点的に
AstroRadの特徴は、宇宙飛行士の全身を均等に覆うのではなく、放射線の影響を受けやすい部位を重点的に守ることです。
主な素材は、水素を多く含み高エネルギー粒子を減速させるのに適した高密度ポリエチレン。数千個の小さな防護部品を組み合わせ、骨髄をはじめ、肺、胃、大腸、乳房、卵巣などを厚く保護する構造になっています。
研究では、同じ重量の防護材を均等に配置した場合と比較して、この重点的な防護によって実効線量の低減効果が約30%向上したとしています。
アルテミス1で使用されたモデルの地上での重量は約26kg。宇宙船では搭載できる重量が厳しく制限されるため、「限られた重量で、どこを守れば最も効果的なのか」という発想が重要になります。

宇宙船の代わりではなく「身につける防護」
AstroRadは、宇宙船の外で活動するための宇宙服ではありません。また、宇宙船自体の放射線防護設備に取って代わるものでもありません。
想定されているのは、太陽活動によって放射線量が高まった際に、宇宙船内で宇宙飛行士が着用するという使い方です。
宇宙船には通常、太陽嵐の際に避難するための防護性の高いスペースが設けられます。そこにAstroRadを組み合わせれば、宇宙飛行士が防護スペースから出て船内を移動したり、必要な作業を続けたりできる可能性があります。
今後、月周辺や月面での滞在が長期化し、さらに火星を目指すようになれば、地球の磁気圏による保護を受けられない時間も長くなります。身につけられる放射線防護技術の重要性は、さらに高まると考えられます。

イスラエル発の技術を月から火星へ
AstroRadの月への旅は、イスラエル単独で実現したものではありません。
プロジェクトの背景には、2015年に締結されたイスラエル宇宙局とNASAの協力協定があります。その後、ドイツ航空宇宙センター(DLR)や宇宙船オリオンを開発したロッキード・マーティンも参加し、2018年にはアルテミス1でAstroRadを実験することが決まりました。
StemRadのCEO兼創業者であるオレン・ミルスタイン博士によれば、この防護技術はもともと原子力事故などに対応する緊急要員のために開発され、その後、軍事用途、そして宇宙飛行士の防護へと応用されてきました。
今回の研究結果は、NASAがAstroRadの実用化を決定したことを意味するものではありません。今後も重量や着用性、ミッションごとの放射線リスクなどを検証していく必要があります。
それでも、イスラエルの比較的小規模な企業が開発した技術が、NASAをはじめとする国際的なパートナーとの協力によって月を周回し、実際の宇宙環境からデータを持ち帰った意味は小さくありません。
月はゴールではなく、その先へ向かうためのステップです。将来、人類が火星へ向かうとき、イスラエルから生まれた「身につける放射線防護」が、宇宙飛行士を守る技術のひとつになっているかもしれません。

*本記事はイスラエルメディアHayadanの報道をもとに構成しています。


