テロ組織ハマスがイスラエル領に侵入し、民間人 1,200人以上を虐殺、240人以上を人質として拉致した2023年10月7日は「イスラエルの9.11」と呼ばれ、世界中の人々に衝撃を与えた。
各メディアでは現在も続く戦闘状況や、ガザ地区の状況のみが取り上げられているが、イスラエル現地の人々の暮らしぶりは伝わってこない。そこで、2023年12月にイスラエルを訪問した際に、実際に見て感じた現地の様子を読者の皆様と共有したい。
日本からの直行便は運休状態
2023年3月、東京(成田)~テルアビブ間を約12時間でつなぐエルアル・イスラエル航空の定期直行便がついに就航したが、今回の戦争をうけて同年10月25日から一旦運休となった。そこで、唯一イスラエルへ飛行可能な航空会社であるエルアル航空を利用し、バンコク経由でテルアビブへ向かう事にした。経由便かつ今回の戦争による空路変更もあり、トランジット時間と合わせて23時間以上、ドアトゥドアでは24時間以上を要した長時間移動であった。(編集部注:2024年3月より直行便が復活予定)
ISRAERU読者のみなさまには周知の事実かと思うが、エルアル航空の機材(ボーイング)はカスタマイズされており、地対空ミサイルによる攻撃を防げるレーザー誘導ミサイルを装備している「世界一防衛され、安全な機体」とも呼ばれている。戦争のため、テルアビブ行きの飛行ルートがいつもと違っているのをモニタ画面で認識し、何だかドキッとした。
未だ解決しない人質問題
無事にテルアビブのベン・グリオン国際空港へ到着し、パスポートコントロールを端末で終えると長いアプローチがあり、左右にずらりとハマスに拉致され人質となった方々の写真パネルが並んでいた。それを見た瞬間、イスラエルの人々の癒えぬ悲しみを感じて衝撃と震えが走った。イスラエルの人々の『拉致された被害者たちが一日でも早く帰還してほしい』という強い思い、そして総力をあげて人質奪還に取り組んでいるユダヤ人のパワーを感じた瞬間だった。拉致された方々が一刻も早く無事に帰ってくることを心から祈っている。
紛争のない時には見ることのできない、シェルターの場所を示すポスターが複数箇所掲示されていた。
ミサイル警報とアイアンドーム
ホテルへ到着し、チェックインする際に「各階にシェルターがあるので、警報が鳴った際は必ずシェルターに入って、10分間待ってください」と説明をされた。戦闘中の緊張感を感じた一方、人々は至って明るく日常生活を営んでいた。ちなみに「10分間」のシェルター内での待機理由は、アイアンドームでミサイルを撃ち落とした後、落下する金属の破片による怪我を防ぐための時間である。イスラエルは独立宣言後の1951年以来、公共施設だけでなく、住宅にも必ずシェルターを設置するよう国民に義務付けをしていて、世界で最も防衛対策が整っている国のひとつだ。
アイアンドームとは、敵のミサイルを探知し、即時に迎撃ポイントを計算し、迎撃ミサイルを発射し、敵のミサイルを破壊するイスラエルの対空防衛システムで、その命中率は、95〜97%だと言われている。レバノンの国境(北側)のヒズボラ、そしてガザエリア(南側)のハマス両方向から撃ち込まれてくるミサイル弾はアイアンドームで迎撃をしている状況であり、イスラエルの人々はアイアンドームを信頼している。
日本の四国地方ほどの面積であるイスラエルには、アイアンドームが10基ほど配備されている。2023年10月のテロから42時間で3,000発以上のロケット弾がハマスから撃ち込まれ、その多くがアイアンドームにより迎撃されたが、アイアンドームのコストは1発約6万ドル、日本円にして約840万円 (USD$1.00=140円として換算) といわれている。
今回の出張中、イスラエルの人々にミサイル警報用アプリTzofar(Red Alert)を見せてもらった。被害予測エリアにいる人々にのみアラームがなり、避難を警告するアプリケーションで、この警報アラームが鳴ると全員がシェルターへ避難を開始する。
ある日、打ち合わせが始まろうとしたときに出席者全員の警告アラームが鳴り、皆でシェルターへ避難した。そのときの写真が下記の写真だ。危険エリアをこのように携帯で表示された。一方、避難している人々はまるで慣れっこといった感じで、シェルター内で明るく笑顔でおしゃべりをしていた。
テックスタートアップ企業との会議では、ハマスはユダヤ教の祝日などユダヤ人が一番安心している時にいつも襲撃をしてきたという話を聞いた。リラックスして楽しんでいる時を狙って、何かをしようとしているのだ。2023年の大晦日、カウントダウンの時にもハマスが大量のミサイルを発射し、イスラエルを攻撃しようとしたため警告アプリの警報音が鳴りっぱなしだったそうだ。
痛みを内包しながら営まれる日常生活
日本のテレビでも取り上げられていたが、テルアビブ美術館の広場にはハマスに連れ去られた人質のために人数分のシャバットディナーの食卓が設置されている。私が訪れたのは夜であったが、多くのイスラエル人が訪れ祈りを捧げていた。広場では、拉致が発生してから経過した時間を大きなディスプレイで表示している。国民の切ない思いが、痛々しいほどに感じられたのが印象的だった。
一方、街は大渋滞、人々はまるで戦争など関係ないかのように街を歩き、電車も通常通りに運行している。これは、テロ攻撃を受けてもそれに屈して隠れることなく、いつもと変わらない日常を過ごすべきであるというイスラエルの理念に基づいた行動だ。私もテルアビブでの夜は、テラス席でディナーを楽しんだ。
戦争中にも関わらず、イスラエルの人々にはとても暖かく出迎えてもらった。また、現場から見えたイスラエルのビジネスは、従来通りに問題なくスムーズに進んでいた。勿論、国民全員が状況を少しでも良くするためのサポートを能動的に行っているため、平常時との違いは多少あるが、人々は変わらずフツパー精神を発揮し、最先端技術の開発やビジネス展開を積極的に行っていることに安堵した。一日も早く平和な日常が戻ることを願っている。