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BUSINESS

日本人大学生がイスラエルの大学院に6年間留学して得たもの

by 新井 均 |2023年04月25日

写真はエルサレムのヘブライ大学のマウントスコポスキャンパス

近年イスラエルのビジネスあるいは観光・文化に関する情報は比較的容易に得られるようになったが、イスラエルへの留学経験者の声を聴く機会はまだあまり無いだろう。


2月24日の拙稿(大使館から武者修行参加者へのエールは“Yalla!”)でもご紹介したLINE株式会社の井上博之氏に、ワイツマン科学研究所に留学したご自身の留学の経緯、その後の仕事などについて改めてお話しを伺う機会を頂いた。


参考までにイスラエルの主要大学8校を以下にリストアップしておく。世界の大学ランキングにも登場する評価の高い大学が多い。これら以外にもイスラエルには単科大学が20以上ある。

写真はテルアビブ大学

エルサレム・ヘブライ大学 The Hebrew University of Jerusarem 
テルアビブ大学 TelAviv University
テクニオン工科大学 Technion Israel Institute of Technoogy
ワイツマン科学研究所 Waizmann Institute of Science
バル=イラン大学 Bar-Ilan University
ハイファ大学 University of Haifa
ネゲブ・ベングリオン大学 Ben-Grion University of the Negev
イスラエル・オープン大学 The Open University


留学の経緯

井上氏は2006年から2014年まで大学院大学であるワイツマン科学研究所で物理学を学び、修士号、博士号を取得した。研究対象は極低温状態にした半導体で起こる量子現象で、最近理研でも開発されて話題になっている量子コンピュータの基礎となるような研究分野である。


井上氏は慶應義塾大学で物理を学び、いつかは留学をしたいと考えていたそうだ。大学院の学費は親に頼らないつもりだったので、奨学金の有無なども留学先を探す条件の一つだった。


当初アメリカの大学で応募できるところをさがしていたが、その候補先の一つの先生がワイツマン出身であることを知った。調べてみるとワイツマンには自分が興味のある分野の研究を行っているグループがあり、奨学金も充実していることがわかったため絶対にここに行きたいと思うようになったという。とはいえ、受け入れてもらうためには当然インタビューなどの関門もある。そこで、もしうまくいかなかった場合に備えて、慶應・東大の大学院進学へのチケットも確保しておいたそうだ。


日本の学校は4月始まりなので、大学院進学を志す場合は8月頃に試験を受けて9月に結果が出るというようなスケジュールだ。ワイツマンの場合は5月に募集が始まり、試験を経て合格すれば10月ごろから授業が始まるそうで、ちょうど半年カレンダーがずれていることになる。


井上氏は10月に興味ある研究をしているワイツマンの先生、受け入れを担当している先生、など、複数の先生にワイツマンに留学したい旨のメールを送った。そのうちの誰かがメールを見てくれることを願っていたところ、まさに入りたいと考えていた研究グループの先生から返事を得て、早速11月に現地を訪問した。


もしワイツマンに留学できることになれば、早めに合格していた日本の大学院には断りを入れねばならない。そこで、“通常のスケジュールではないことは理解しているが、すぐにインタビューをして12月には合否結果を出してほしい”とお願いし、年明け早々に合格の連絡を得たという。たとえルールで決まっていることでも、明確な理由があれば交渉可能であるイスラエルらしいエピソードである。


日本の大学院であれば最初から授業も研究も始まるが、ワイツマンでは修士過程最初の1年は授業が中心だったそうだ。特に最初の学期は大変コースワークが厳しく、3科目くらい課題が出てそれを解くことの繰り返しで、クラス全員が毎晩真夜中まで課題の対応に追われたということだ。


写真はイメージ

イスラエルの他の大学では授業もヘブライ語というケースもあるようだが、ワイツマンでは授業も課題も全て英語であり、その点は外国人留学生にはメリットかもしれない。但し、井上氏のときは約160名の学生中、留学生は3名だったそうだ。2006年はレバノン(ヒズボラ)とイスラエルとの間で紛争があった時期でもあり、海外の留学生にはあまり人気がなかった可能性はある。ただ、学生ではなく研究者には外国人(ロシア系、インド系、中国・韓国系など)が大勢いたそうだ。


入学の審査については特に変わった点はない。大学の成績、GRE(Graduate Record Examination)のスコア、TOEFLのスコアを提出し、面接では「なぜワイツマンに留学したいのか」というような話題だけではなく、物理のクイズのようなものを出されてそれについて議論することもあった。


井上氏がワイツマンの特徴として感じていたのは、絞られた分野のサイエンスに特化した大学院大学であることであり、エンジニアリングも含めて広い分野をカバーしている他の大学と比べて特定分野に絞り込んでいる分、奨学金も含めて研究環境としては恵まれている点だろう。極低温で見えてくる量子現象の研究グループということで、同じグループから量子コンピュータ関連の起業をした人もいるそうだ。ちなみにその企業はQuantum Machinesという企業で、2018年に創業して$111M(約140億円)の資金調達を行っている。


卒業後のキャリア

元々研究者を目指した井上氏だが、現在は民間企業でデータサイエンティストとして働いている。そのあたりの経緯についても伺った。


ワイツマンでPh.D(博士号)を取得したあと、井上氏はアメリカにわたりポスドクとして研究を続けたが、そこでの経験がその後の進路に影響を与えたそうだ。


前述の通り、井上氏は極低温状態での量子現象を観察する実験物理の研究を行っていた。ISRAERUの読者にどこまで伝わるか不明だが、この分野の研究のためには半導体素子を製造するための様々な製造装置や、極低温環境での計測を行うための実験装置などが必要となる。これらの装置は大変高額であり、かつ、運転するだけでも大変お金がかかる。


自分の研究室を持てば好きな物理の研究はできるものの、そのために研究室の運営(資金調達)をするのは研究者にとっては決して楽な仕事ではない。また、研究室運営よりもプレイヤーとしての仕事を続けたいという思いがあった。そこで別の道を探すことを考え、一度ワイツマンの研究室に戻った。ちょうどAIがブームとなってきたので、数学を生かしてやれそうな仕事もありそうだと考えたそうだ。ただ、ビザの関係もあり、イスラエルで時間をかけるよりは日本に帰って就職するという決断をし、事業会社でデータサイエンティストの仕事に就いたのである。


最初はALBERTという受託データ分析専門の会社に就職した。顧客企業の依頼に応じて3ヶ月とか半年のプロジェクトでデータ分析の仕事をする。この会社はコンサルティング企業のアクセンチュアに買収されている。その後、2021年にLINEに移った。


ALBERTで扱ったのは顧客のデータであり、プロジェクトごとに内容が変わるが、LINEは自社サービスを持っているため、そのサービスに関わるビッグデータが継続的に発生する。井上氏の仕事はそのビックデータに対するデータ分析によりインサイトを得て、サービスの改善や変更に反映させることである。


最近流行りのChatGPTのようなAI関連技術も急速に進化するだろうが、井上氏はそれがデータ分析を置き換えることはないだろうと言う。筆者に正しく理解出来ているかどうか自信はないが、仮にAIに何か相談をした結果もっともらしい答えが得られたとしても、“どのようなロジックでAIがその答えを導き出したか”はわからない。企業の経営者が戦略的な意思決定を行うときに、自分のビジネスのデータ分析を行わずに、AIに答えてもらった(根拠が説明出来ない)選択肢に賭けるのでは博打と同じである。


データ分析はChatGPTのような派手さはないが、無くなることのない重要な仕事だろう。同時にこの世界も急激に変化しているので、井上氏も新たな興味が芽生えたらそちらに挑戦するだろうとのことであった。


イスラエルで見たもの

最後に、5、6年にわたるイスラエルでの研究生活で見た“イスラエルの多様性”についてもお話しを伺った。


日本では概ね18歳で大学へ進学し、大学院に進む場合は2年間の修士課程、3年間の博士課程を経て、その後のキャリアは27歳前後で始まる、というようにタイムラインがほぼ決まっている。無論社会人になってから大学に戻る人もいるにせよ、大枠のタイムライン事情はアメリカでもそれほど大きく変わらない。すなわち、●●歳の人はXXをやっている、ということが大体同じなのである。


イスラエルでは、大学に進学するのは一般的には兵役後であり、兵役後就職してから大学に進学する、あるいは働きながら大学で学ぶ人も多い。すなわち、大学と大学院に在籍する人の年齢や背景もバラバラなのである。世界中の様々な国から帰還したという文化的な多様性はよく語られるが、決まったタイムラインがほとんど無い人生やそれを受け入れている社会の多様性は日本のような均一的な社会では見ることのない特徴だろう。


実際、同じコースで物理を勉強していた人が、卒業後に気が変わって心理学を勉強するために大学に入り直した人もいるそうだ。このような我々との違いを目にするためにも、日本から外に出る意味がある。


また、エリート教育の価値についても言及してくれた。18歳の選ばれた若い人に研究開発の経験をさせることの意義を高く評価していた。単純に真似をすることは出来ないし、“平等”に価値を置く日本社会では“一部の人だけのエリート教育”という発想が受け入れられ難いかもしれないが、長い時間はかかっても類似のシステムを導入する価値はあると指摘された。なぜなら、実際にエリート教育を核としたエコシステムがイスラエルでは有効に機能しているからである。この点は筆者自身も追い続けているテーマであり、具体的な手がかり・アイデアを捜していきたい。


井上氏もイスラエルに再訪したいと考えており、サイエンスだけではなく、エンジニアリングも学んでみたいとのことであった。わずか1時間ほどの取材だったが、外の世界を見る意義、新しいことに挑戦する価値を再認識させられた中味の濃い充実した時間であった。


【プロフィール】

井上博之さん/慶応大学理工学部物理学科を卒業後、イスラエルのワイツマン科学研究所へ留学し半導体物理学の分野で修士・博士号を取得。アメリカのプリンストン大学にてポスドクとして研究後、日本に帰国し民間企業でデータ分析に従事。