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BUSINESS

微小重力(マイクログラビティ)環境での実験を身近にしたスペースファーマ

by 新井 均 |2021年03月12日

仕事柄数多くのベンチャー企業を見てきましたが、スペースファーマ(Space Pharma)ほど”イノベーション”という言葉がふさわしいと思ったことはありません。それは、彼らのソリューションが、大学や研究機関の主にライフサイエンスという先端分野の研究開発で使われる、ということだけではなく、従来は簡単には行えなかった実験を可能にするプラットフォームである、すなわち、『できなかったことを可能にした』からです。バイオやライフサイエンスの研究者達は、彼らの実験のパラメータに「重力」を加えることが出来るようになりました。


一つの実験室を小さな箱に収めた

スペースファーマは、衛星に搭載して、地上からリモートコントロールで各種実験を行うことができる「ミニラボ」を開発しました。そのミニラボがどのようなものか、まずはこのビデオを御覧ください。



1分過ぎあたりにその実物がでてきます。良くシューボックスサイズという表現を使いますが、それくらいの大きさの箱の中に、材料を入れる冷蔵庫、液体試料をリアクタに送り込むポンプ、反応を測定分析する顕微鏡や各種測定機器を含む解析ユニットなどが搭載され、この中で100種類以上の実験ができると言うことです。通常は実験室のひと部屋の中にあるバイオ研究のための最新設備が、この小さな箱の機能として実現されました。この箱が衛星に搭載され、研究者達は宇宙の微小重力環境の中で、地上からのリモートコントロールで様々な実験が出来るというわけです。イスラエルといえば、サイバーセキュリティに代表されるコンピュータ・サイエンス応用のスタートアップを思い浮かべますが、スペースファーマの場合は、この小さな箱の中にメカや流体技術を含む多くの機能を実現するという、大変複雑で学際的な成果を成し遂げました。しかも、単に部品を小さくして詰め込むというだけではなく、地球からリモートで操作できる、その使い勝手にも配慮したそうです。



実は、イスラエルは世界で8番目に独自の衛星の打ち上げに成功した国なのです。つまり、衛星を設計し、打ち上げ、オペレーションする、というノウハウを既に持っていました。そこにこのミニラボを加えることで、重力のない環境での創薬や材料合成など、従来できなかった実験を可能にしました。


創業者Yossi Yaminはインテリジェンス部隊とサテライト部隊に従軍

この驚異的なミニラボのアイデアを着想した経緯を、創業者でCEOのヨッシ・ヤミン(Yossi Yamin)氏に聞いてみました。ヨッシ氏によれば、「このアイデアは衛星のKgあたりの打ち上げコストが非常に高額である、という現実から来ています。微小重力環境での実験は有効であることが分かっていても、なかなか簡単に実行できることではありませんでした。ナノテクノロジー、スーパーコンピューティングなどの技術が非常に進化してきたので、ミニラボを実際に具体化できれば、バイオの世界で聖杯(Holy Grail)を手にすることが出来る、と考えたのです。」 無論、この「聖杯」とは最後の晩餐に使われた盃で、数々の奇跡を起こします。ヨッシ氏は、ミニラボが実現できればバイオの世界で奇跡を起こせる、と考えたわけです。


ヨッシ・ヤミン氏

ヨッシ氏は、IDF(Israel Defense Force)ではインテリジェンス部隊で働きました。そこには、多くの優秀なタルピオット卒業生がおり、大変刺激を受けたそうです。彼らはヨッシ氏の力になってくれました。また、IDFではイスラエルだけではなく、アメリカやカナダのトップクラスの企業とも協業し、まさに国境を超えた能力を手にしたようだったと言います。その後、中佐としてサテライトユニットにも従軍しています。これらの経験が、スペースファーマの創業につながっているとのことでした。イスラエルではIDFが人材育成機関であると良く言われますが、軍が優秀な若者の才能を開花させた典型例と言えるのではないでしょうか。


なぜ微小重力が重要なのか?

まず、重力の無い状態で人間の生物学的機能がどのように変化するかを理解することは、生物学やヘルスケアにとって大変役に立ちます。また材料研究にとっても重要です。なぜなら、結晶成長から流体の混合、凝固などのプロセスをガラリと変えてくれるからです。例えば、無重力での結晶成長がどうなるか、は地球上ではできない実験です。


彼らのミニラボは様々な研究で使われているようですが、典型的な事例が「新規モノクローナル抗体の特定や開発」だそうです。モノクローナル抗体は、細胞表面の特定タンパク質を目標にすることで作用するため、ターゲット化治療として知られます。癌、腫瘍やその他の深刻な疾患の治療に有効活用されるモノクローナル抗体を見つけるために細胞の培養が必要ですが、スペースファーマでは、“organ-on-a-chip”というマイクロ流体細胞培養プラットフォームを開発しています。このプラットフォームにより、試薬の消費を最小限におさえながら、自然な細胞微小環境を再現し、微小重力環境との組み合わせで生産性良く培養ができるそうです(スペースファーマの資料から)。


ISS(国際宇宙ステーション)でも実験

既に、ISSでも2度、Nexus1 というシステムが2017年11月に、 Nexus2 というシステムが2018年11月に使われて、様々なミッションが遂行されました。彼らのWEBサイトにその概要が載っています。また、独自にDIDO2という衛星も打ち上げて多くの顧客の実験に寄与しています。


開発中のDIDO3

現在、チームメンバーは20名ほどで、ライフサイエンスのPhD、ソフトウエアエンジニア、創薬、衛星など多岐にわたる専門家が集まっており、其の中にはタルピオットの卒業生もいるそうです。今は、研究機関が主な顧客で基礎研究に使われていますが、いずれはこの技術が軌道上の宇宙工場となり、そこで生成された新薬などのプロダクトが地球に送られてくる、ヨッシはそんな未来を描いているようです。太陽光の影響もなく、エネルギー消費も少ない宇宙工場という壮大な未来は、案外早く来るのかも知れません。


スペースファーマ

https://www.space4p.com/


記述内容に科学的誤りがあれば、筆者の理解力に起因するものである。