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BUSINESS

「1分、1秒を大切にしたい」大阪・関西万博 イスラエルパビリオンのスタッフにインタビュー!

by Keiko |2025年10月06日

閉幕まであと1週間となり、連日20万人を超える来場者が押し寄せ空前のブームとなっている大阪・関西万博。イスラエルパビリオンにも、毎日途切れることなく大勢の来場者が詰めかけています。ISRAERUでは、イスラエルパビリオンで秘書として働くノアさんにインタビュー。6か月間の特別な仕事を通じて感じたこと、いまの思いについてうかがいました。


友人から声をかけられて始めた万博の仕事

イスラエルパビリオンとイスラエル大使館は、万博会場の展示にとどまらず、サイドイベントとして、ビジネスやイノベーション、ヘルシー関連、カルチャーなど、さまざまな分野のイベントやワークショップを開催し、日本や世界との繋がりを深めています。そのため、イスラエルパビリオンでの仕事は多岐に渡り、幅広いスキルとコミュニケーション能力が求められます。


「大阪で暮らしていて万博があることは知っていましたが、特に興味はありませんでした。たまたまイスラエルにいる友人から『万博で働いてみない?』と声をかけられて、それで働くようになりました」。


日本人のお父さまとイスラエル出身のお母さまのもと、神奈川県で生まれたノアさん。日本で生まれ育った彼女は、16歳のときにお母さまの出身地であるイスラエルの高校に進学。「ガリラヤ湖の近くのキブツはすごくいいところで、お祖母ちゃんや家族もいたので、そこで高校の3年間を過ごし、その後、2年間の兵役も経験しました」。


日本語、ヘブライ語、英語が流暢に話せるノアさんは、国際的な万博には必要な人材。もともとフリーのカメラマンで料理の写真を得意としていた彼女は、「ボランティアのような感覚でお手伝いできれば」という軽い気持ちでこの仕事を始めたそうです。


イスラエルパビリオンの入り口

イスラエルのために何かしたいという思い

「ヘブライ語は30年くらい使っていなかったので、最初はパッと言葉が出てこなくて。でも、スタッフの方々と話していうるうちにだんだん思い出してきて、いまヘブライ語で仕事していることがすごく嬉しいです。イスラエルのスタッフには、『ヘブライ語が話せる日本人!』ってからかわれています」。
結婚後に大阪に移住したノアさんは、大阪弁ではなく標準語で話しています。「大阪の人ってエセ関西弁に厳しくて、『なんか変だからやめてくれ』って言われるので、子どもたちは大阪弁なんですけど、家族で私だけは標準語で話しています(笑)」。


「正直、イスラエルのルーツをあまり意識はしていなかったんです。子育てなどで生きるのに忙しくて、そういうことを考える余裕がまったくなくて。ただ、やはり10月7日がきっかけとなって、苦しくて苦しくて眠れない夜が続いて、自分の家族たち、自分の国っていう思いがバーってあふれてきて・・・」。世界に衝撃を与えた事件をきっかけに、ノアさんは「イスラエルのために何かしたい、繋がりたい」という思いを持つようになったそうです。


イベントでゲストと会話する久米ノアさん

これからもイスラエルと繋がっていきたい

ノアさんにインタビューしたのは9月11日。あと1か月余りで閉幕というタイミングでした。「いまは本当に、万博が終わって、みんなが帰ってしまうのが淋しくて淋しくて仕方ありません。1分でも1秒でも、この時間が続いて欲しい。そんな気持ちで毎日過ごしています」。


10月13日に向けて、イスラエルパビリオンはもちろん、すべてのパビリオンとスタッフたち、そして来場者たちも、フィナーレを楽しみつつも名残惜しい気持ちで迎える閉幕。

「イスラエルと縁のない生活は、もう考えられない。これからも、イスラエルとの繋がりは持っていたいと思っています」。

イスラエルと日本の両国をルーツに持ち、大阪・関西万博を通じて自らと向き合ったノアさんが、今後もイスラエルと日本の架け橋となってくれることを確信しました。


イスラエルパビリオンの内部空間